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北京堂鍼灸伊東

中国医学が疼痛に対する認識

中国医学が疼痛に対する認識

 疼痛は一種の感覚であり、人体が外からの刺激を受けた後、発生する苦痛の感覚反応であり、これは人体に無くてはならない感覚機能で、生体が侵害性刺激を受け形成される病理変化の表現の一つで、前者を生理性痛覚、後者を病理性痛覚といい、両者は一つの物事に異なる反応で、2者の間に特定の質的な相違があり、生体への影響は明らかに異なります。中医は疼痛に対して早くから認識しており、疼痛理論は中医が最も早く形成した臨床理論の一つです。

 素問の挙痛論には「寒邪が脈外を侵襲すれば経脈が冷える…熱邪が小腸に留まると、腹中が痛み、熱が盛んになって唇が焦げて喉が渇き、便が乾燥して堅くなり出ず、腹痛と便秘になる」とあります。上記の文を読むと、素問は疼痛の病因に対して寒邪を重視した考えで、13個の文章の中で12個は寒邪が関わり、熱邪が引き起こすのはたった一つです。この他に素問が疼痛の認識に対する特徴は外邪を強調して、13個の文章の中で「客」という字が使われており、その意味は邪が外から来るもので、客は体内からということです。以上のことから素問は疼痛の病理変化の実質は気血の運行障害だと考え、その分析は様々な疼痛の発生メカニズムの時に「血泣」「脈泣」「気血乱」「脈満」「血不得散」「脈不通」などの語句を運用し、その中でも「血泣」は多く出現し、それらは皆気血の運行障害を説明しています。

 晋、隋、唐、宋時代の医学者は疼痛に対して基本的に素問の理論を尊重、踏襲していました。彼らは六淫の邪気である風、湿、燥などが気血の運行を妨げ痛みを発生させると考え、寒邪は外から来るだけでなく、内在する原因もあり、外から来る邪気だけに注意を払っていると内から生じる邪気を見落とすことになります。原則的には疼痛の病因を認識するに過ぎないとも言え、各時代の医学者たちは素問の原則の元、疼痛の病因に足りない部分を補足しました。刘恒瑞は外感六淫、内傷七情及び打撲傷はみな痛む可能性があると発表しました。疼痛の病理メカニズムに対して、素問は気血運行障害が基礎になり、八網の虚実、陰陽の結合、気血運行を分析するとしています。

 私たちがよく使う「通じれば痛くない、痛いのは通じていない、通じなければ即ち痛む」ですが、これらが意味することは、疼痛病の病理変化や気血運行障害です。「経歴雑論」では、‘古人は「通じれば痛まず、痛ければ通じていない」と言う。これは実の痛みを言っており、これによって様々な痛みを治そうとするのは誤りである。ここで経歴雑論によって効果を得ることは、医者を生業とする者が詳述するからである。痛みも諸病の中の一つの証である。必ずその原因を詳しくして治療して、始めて間違いが無い’と記しています。ですから、理論上から、又は実践意義向上の観点から、この程度の認識では不十分で、完全なものにしなければなりません。「霊枢・本神」では、‘物に任ずる所以の者、これを心と謂う’とあります。「素問・至真要大論」では、‘痛みや痒み、デキモノは全て心が原因である’とあります。このように、気血の運行障害は疼痛を引き起こし、心の作用に属するのです。そのため、臨床上、中国医学で疼痛を治療する時は、往々にして心を通じ血脈を調節する方法は神を動かすことを助け、治療効果が向上します。

 中国医学が疼痛に対する認識は上記の通りで、その本質を追求すると、疼痛の主な矛盾又は気血の運行障害は、治療上、血の流れを良くして、血脈を調節することが主で、心を通じ神を動かすことを助ける方法です。以上の方法がずっと現代鍼灸臨床の拠り所なのです。 

参考文献:胡超伟,超微针刀疗法,湖北科学技术出版社:2014
     淺野周(訳),素問現代語訳,三和書籍:2021

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