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北京堂鍼灸伊東

第4章 西洋・東洋医学思想の相違

西洋・東洋医学思想の相違
目次

概説

 人類が有する医学、科学の主なものは東洋医学と西洋医学であり、東洋医学の主なものは中医学です。いわゆる過去の有効な医学の成果を整理するに当たり、東洋、西洋医学の全面的、系統的な整理、整合を行い、この2大医学の根源を探求しなければいけません。前述したように、中医学は抽象的思想モデルの産物で西洋医学は形象思想モデルの産物であり、私たちはこの2つの異なる思想モデルの深い比較研究を行わないといけません。

西洋医学の形象思想モデル

 前述したように、西洋医学は数理哲学で西洋スネサンス時代に形成された主流の文化思想で、その思想は形象思想です。まず、西洋医学がどのように世界に認識され、世界に説明したのか、みていきましょう。

 ニュートンは西洋哲学の創始者の一人で、西洋自然科学の礎を築いた一人でもあります。彼が発見した万有引力の法則と3つの運動の法則は、精密な数学的計算と科学実験により、完成されました。そして、彼の後継者による更なる科学実験により確認され、例えばピザの斜塔の実験では地球の引力の重力加速度が一定であると完全に証明されました。

重力加速後g= 9.81m/sec²

下記のような例があります。
・ガリレオの天文学は天体望遠鏡による観測の結果
・オームとアンペールが創立した電気学の法則
・メンデレーエフは化学元素周期表を作成
・マスクウェルは電磁場理論をもとに古典電磁気学を確立
・ドルトンの新原子論
・デカルトの解析幾何学
・ライプニッツの公式(数学)

 概して、上記の科学的成果は全て形象思想の方法で研究されており、これらの偉大な科学者は思想家であり哲学者であり、数理哲学の創始者の一人でもあります。数理哲学が西洋で文化的思想を形成した後、その理念と思考モデルはあらゆる社会生活や文化的生活に浸透しました。例えば、社会学では法律に数学的法則を適用して特定の法的概念を定量化します。また芸術では客観的に形象化し、例えば絵画芸術では、完全な形象思想の創作手法を貫き、西洋画家が描いた美女の裸婦像と一般社会の美女の体型はほとんど同じです。東洋画家が描いた美女は抽象的思想で描かれており、例えば「金陵十二钗」は生き生きして真に迫る美女の絵であり、確かにそれは完全に美しいレベルではありますが、実生活の中でその肖像画に描かれた人物と同じような美女と遭遇することは無いのです。近代の偉大な画家である齐白石は「東洋絵画の芸術は徹底して抽象的な思想モデルである」と簡潔な言語で総括しました。彼は「絵画は表情が似ていても、外形まで似る必要はない」と言いました。西洋の絵画は確かに外形が似ています。例えば、西洋人が祭る神はイエスで、十字架の上で釘に打たれ、その理念は人が最も神の境地に近づくことで、苦痛や試練を受けます。対して東洋人が祭る神は観音菩薩で、このような大らかで豪華で、純粋で美しく、これは抽象思想からの美しさです。
 例えば、西洋の愛は、キューピットが背中に神の矢を用意し、一本の矢が相手の心理に届くというのが愛の象徴です。これが形象思想で愛の創造を具体的に表現することです。一方、東洋の愛は、※月下老人、月の光が差すところで赤い紐を持ち、愛はこんなにも優美で仲睦まじいという象徴で、愛し合う二人の関係です。この東洋の抽象思想は愛を創造する時の一種の具体的な表現なのです。

※月下老人:唐の韋固が月夜に老人に会い将来の妻を予言され、実際にその通りになったという伝説

 ここで補足説明を少ししましょう。東洋の抽象的思想と西洋の形象的思想は何が優れて何が劣っているという問題ではありません。人類は異なる2つの半球上で創造した2つの異なる文化思想ですが、これらは各々特色があります。産業革命はなぜ西洋が先に興したのか、西洋人が発明した蒸気機関車、電動機器、汽船、汽車などを東洋人はなぜ出来なかったのか、それは西洋が数理哲学形象思想を作り出した結果なのです。けれども、西洋の巨大な歴史ある文明国であるギリシャ帝国、バビロンはとうに分離し存在していません。対して東洋の巨大で歴史ある文明国の中国は、数千年来、世の荒波に揉まれ終始東方に高くそびえ立ちます。これは東洋の人文哲学が作り出した巨大な成果なのです。

 西洋医学は西洋ルネサンス時代の数理哲学文化が根付く中で作り出され、西洋医学の思想は必然的に形象思想モデルとなり、これは自然で最もなことなのです。

 従って、西洋医学は病因、病理、診断、治療に至るまで皆形象的で直観的です、一つの疾病の診断は直観的検査手段により確定し、各治療に対して、直観的な検査結果に基づき適応する治療を行うのです。例えば、肺結核では、直観的検査結果は結核菌が侵入する肺で、西洋医学ではリミフォンを使いリファンピシン系の薬物で抑制するか結核菌を駆除します。それに対して中医では肺結核を「肺痨」といい(痨は結核という意味)、抽象的な思想方法で治療します。例えば補土生金、補脾土をもって生肺金とする、瀉火保金、瀉心火をもって保肺金とする、心火刑金(心火が極めて盛んなこと)をさせない、などの治療法があります。また、例えば脳膜炎の場合、西洋医学では直観的検査で、脳膜炎の双球菌感染部を抗生物質を使い双球菌を駆除します。それに対し中医で脳膜炎の治療は。抽象的な思想方法で治療が行われ、例えば衛、気、栄、血の弁証や三焦弁証、投薬などとても複雑です。つまり、形象思想モデルは一貫して西洋医学の診療の中にあるのです。

中医の抽象的思想モデル

 私たちが知っている中医学は東洋哲学、即ち人文哲学の抽象思想の文化圏の中で発展してきて、そのため、いたるところで抽象思想モデルの影響を受けます。まず、東洋人文哲学の抽象思想はどのようなモデルなのか、見てみましょう。

 東洋哲学は”森羅万象”という言葉が最も簡単に陰陽、この2つの言葉を総括しています。
 右図は「東方魔符太極図」といわれ、すなわち一つの陰陽魚が構成する一つの円です。これはいわゆる「無極は太極を生み、太極は2つの儀を生む」と言われ、この2つの儀は、その後、二進法の基数が無限に拡大することで限りなく、森羅万象を網羅します。これは何と巨大な抽象でしょうか。この陰陽魚が構成する太極図が東洋哲学で「象」と呼ばれるのです。

東方魔符太極図

 「河图洛书」は東洋哲学に数の概念を導入し、東洋哲学がいわゆる”象”、”数”の道理で、この数の概念は無限の奥義が含まれています。河图の図を見て下さい。ここには1から10までがあり、10個の数字が2つずつ、四方及び中央に並び、これが東洋医学でいう数の概念です。「天数(奇数)5,地数(偶数)5でそれぞれを足すと、天数25、地数30で、天地を足すと55になる。この変化は鬼神が行うなり」とあります。次は洛书の図を見て下さい。これは「九宮」といい、1から9までの9つの数字の並びで、この特徴は奇数が正位にあり、偶数が斜位にあります。たとえ正方位に沿っても、対角線に沿っても、3つの数字の和は15です。現在の説では3つの魔法陣といわれています。

河图
洛书

 このことから分かるのは、河图洛书は1文字も書かれていないにも関わらず、その表現から分かることは数理関係、調和がとれている、バランスがとれている構造ということです。これが一種の数が表す哲理の方式なのです。

 このように、東洋哲学の根拠は「象」「和」「数」という極めて抽象的な基礎の上にあります。太極図(この項一番始めの図)のこの象は天地人、その間の全ての物事を導き、深く十分に説明できます。河图洛书の数もまた、天地人、世間一般のの全ての物事の間の関係を、深く十分に説明できます。つまり、「象」「和」「数」に東洋哲学の神髄があるとも言えます。
 東洋の偉大な思想家は「象」「和」「数」の道理を運用して、巨大な思想理論体系を打ち立て、世間一般の政治、文化、科学、道徳、論理活動の社会人に指導しました。例えば、政治の世界では君主至上主義を提唱し、一国の君主は「天子」と呼ばれました。天子ですが、すなわち天の子供で、この一つのことで生き生きと最高の統治者を神聖化し、抽象化したものです。君要臣死、臣不得不死(君主は大臣に死ねと命じたら、大臣は余儀なく死ぬという意味)という言葉があり、天子が言うことは天の代表の意思であり、つまり拒絶できないのです。
 東洋文化の中で信仰する天ですが、天というのは何でしょうか?天は何処にありますか?誰も分かりません。それは絶対的な、際限なく美しく、万能な偉大な神というように深く抽象化されたものです。
経済界では、東洋人は数千年に渡り東洋文化の抽象的思想の影響を受けてきました。自給自足のこじんまりとした経済モデルを尊重し、大規模化は難しく、集約化の生産モデルで、近代の東洋の「崇高な道徳を持つ」という精神は大胆な革命や改革を行い、東洋文化の精神の制約を力の限り打ち破るのです。東洋人がかつての政治、経済モデルから脱却することを推進し、東洋の人文哲学の抽象思想モデルの制約を克服します。
 文学芸術分野でも所々に東洋哲学の抽象思想の影響を受けています。例えば、中国の演劇は完全に東洋の抽象思想の特徴を表現しています。劇中の武将の服装は、決して古代の鎧ではなく、秦の兵士や馬の土製人形の身なりの相違は明確に分かります。これらの見識は私達にこのような服装を身にまとうのは闘争の手段ではないと教えてくれ、一種の攻撃手段でもありません。しかし、中国の大衆はむしろ歌から踊りまで、演劇から曲芸までと日常生活に大きな差異がある演出を受け入れます。彼らは実生活を真似ただけでは趣が無いと感じ、それはただ一面的な表象で、宇宙の中の全ての理想的な色彩、情緒、動作、技巧の美が全て融合し、宇宙の正体と合致する、という認識があるのです。中国人は日常生活と自身の環境、時間を切り離すことは出来ないと考え、環境、地理と相通じます。人の動作は環境の痕跡と共にあり、大衆が追求するのは現実的理想との境地から逃れることなのです。演劇の顔つきで、中国人は彼らの抽象的思想の絶技を披露し、彼らの忠誠、ずるさ、軽率さ、純朴、活発、豊か、など様々な性格を簡潔な線と鮮明な色彩により構成される図で表現し、これらの図が何の原則に基づき描かれた絵なのか、誰にも分かりませんが、これらの図形がこれらの演技期の登場人物に対して、特に生き生きと正確に描き出すことは誰もが共感します。
 古代の文人画の中で、私たちは戯曲の中に類似する重要な形を越える重要な意味を見て取れます。かつて黒色の蓮の葉や竹を見た人はいませんが、ほとんど全てが密画(細密に描く画法)の水墨画家は、濃い墨と墨をはね散らす技法を使って、蓮の葉や竹の葉を描きました。蘇東坡(そとうば)は辰砂を使い、竹を描きある人に問いました。「世界中でどこに赤い竹がありますか?」蘇東坡は問い返しました。「世界のどこに黒い竹がありますか?」これは中国の文人画家の伝統的な色彩感に関わる問題で、彼らは墨色の濃淡変化は陰陽変化の各相を表現していると考え、全ての色彩が包括され、いわゆる※墨运则五色具をいいます。

※墨运则五色具:五色は水墨画を指し、水と墨の融合割合や筆の速度や異なる筆法により形成される焦、濃、淡、重、清、或いは濃、淡、乾、湿、墨、この五種の異なる状態をいいます。この五色を充分発揮する筆法で、作品の遠近、階層など異なる物体の質感や、中国絵画特有の境地と優雅さが表現されます。

 唐の時代の美術理論家である张彦运は絵の表現の種類は3つあると考えています。一つは絵の道理でこれは卦象(けしょう)が表し、2つ目は絵の意味でこれは文字が表し、3つ目は絵の形でこれは絵画が表します。こうしてみると、中国の文人画家は絵に道理、意味、形が融合する境地を追及していることが分かります。ですから、彼は溢れ滴る墨色で蓮の花の潤い、柔らかさ、力強い生命力、汚れた泥を出し染まらない気質、清廉高潔な気品が表現するよう注意するのです。南北朝時代の刘勰の書いた「文心雕龙」の中このような一説があります。「独造之匠,窺意象而运斤」この意味は「一人の経験ある職人が、独特の見解で使う材料を見たら、自由自在に斧を振り回す」です。これは抽象思想の中華美学の核心的思想方法です。筆法に至っては、こちらもまた抽象思想モデルの強い影響を受けた芸術です。漢字は大自然の像であると認識され、この本が書かれた時のありのままが入り込んだ大自然の趣があるのです。花木柔美(花木の柔らかさ美しさ)、山川的清秀(山川が秀麗である)、惊涛拍岸的雄壮(猛烈な波が岸を襲う勇ましさ)雷鸣电闪的激烈(雷鳴稲妻の激しさ)など皆、書道家により自己の文筆に表れる趣として導入されました。
 伝説では唐朝時代の書道家である张旭は、彼自身が創作するなぐり書きの草書を書く時、必ず紙を地面に敷き、裸足になり、全精神を集中し、大筆を高々と持ち上げ、大声で叫び、狂ったように激しく歩いてこそ書ける、とあります。その姿が頭に浮かびます。古代の書道家たちはこのように、創造の中で自己の精神と自然の間で融合し、一体になり、書道家が追求するのは情調と精神の完全な美だということが分かります。
 中国の伝統的なダンスもまた抽象思想モデルの影響を強く受けており、ダンスの研究家である周冰はダンスの隊形、ステップ、姿勢、形体曲線から呼吸、表情に至るまで全てを表現するという(易経の)精神で、独特の中華的優美な姿を生み出します。ダンスはこのようで、音楽もまたかくのとおりです。易経の甲系統の中に五音に対応する五行は天の宇宙と調和する音波符号だとあります。中国の古代楽器である「編鐘(へんしょう)」の外形から、私たちは一目で※天円地方だと分かり、古代人は確かに音楽活動は宇宙と同調する高度までのぼると認識していました。

※天円地方:天は円く、地は方形であるという古代中国の宇宙観のこと

芸術はかくのとおりで、これから文学について説明しましょう。

 中国の文学は抽象思想が集まり現れたものです。文学の名著である「红楼梦」の中に「黛玉葬花」という章があります。清代の落ちぶれた文人により書かれたこの感情を出すシーンは、中国の文壇ですでに古今の絶唱だと公認されています。このシーンに感動され、嘆いたり泣いたりする外国人が数多くいますが、外国人の観点だと訳の分からないことだらけです。彼らはなぜ何片の桃の花の花びらや、ありふれた土であれほどの悲しみを表せるか理解できませんし、蘇州生まれの感傷的な性格と‘潇湘馆’という彼女の住まいの名前と、霧付きの竹とどういう微妙な関係があるのかも味わえません。似た例は先人の詩の中で、いずれもそのようで、竹から気概を想い、松から気性が激しいが心が真っすぐの性質を想い、清風と明月から人生の薄さを想い、寒い外での石弓は国事に尽力する勇壮さを想い、更には雲、和、雨から男女の関係を想うのです。

 中国の文人はこのような豊富な想像力で、彼らの象形文字は彼らに、人体は小宇宙だ、宇宙は人格化で、人の喜怒哀楽と自然界の風、雲、雨、雪と山、水、草木の姿と動態、気の道理は相通ずる、などのことを与えます。この種の抽象的に理解する世界の方式のため、中国詩歌特有の形象表現様式が作られたのです。中国の古代の詩の中に、中国の象形文字自体にこのような造形能力と感情色彩が溢れ、いつもごく短い十数個、二十数個の字は輪郭を描くようなタッチで描き、非常に細かいトーンの絵画が描けるのです。表現は心中了解が出来ても、言葉で伝えることは出来ない、というような多元的芸術の境地なのです。大漠孤烟直(大砂漠に真っすぐに立ち上る一筋の煙)、长河落日园(大河に円い太陽が落ちていく)、离离原上草(離離たり原の上の草)、一岁一枯荣(一歳に一たび枯榮す)、明月几时有(明月幾時よりか有る)、把酒问青天(酒をもって青天に問う)、红酥手(赤くつやつやの手)、黄藤酒(黄藤の酒)などがあり、愁を書けば愁を言わず、情を書けば情は言わず、末筆の趣である花鳥風月が見えるようになり、人は感ずるところがある上で深い深い人生を観察する、いわゆる1文字も残すことなく、風流のように最高に達するのです。

 以上説明したのが、東洋哲学の抽象思想モデルが東洋文学芸術に与える影響についてで、更には民俗(みんぞく)、建築、人と人の間の論理関係など、このように抽象思想の痕跡が無いものなど無く、ここではそこまで論述しません。
ここまで述べてきた東洋哲学の抽象思想モデルが政治、経済、文学、芸術などあらゆる社会生活分野で表れているというだけでは十分だと考えていません。この目的は中医学が東洋文化圏内で発生、発展し、結果的に抽象思想の影響から逃れられなかったということを、我々全てが十分理解することです。中医学は生理、病理、診断、治療、管理だけでなく、全て抽象思想の手段を運用しています。中医学の思想が東洋人文哲学の抽象思想に根差すという中医学の本質を深く認識し、それを高め、発展させ、現代科学と橋渡しする、このように西洋医学と融合することが極めて重要だと考えています。

参考文献:朱汉章,针刀医学原理,人民卫生出版社:2002

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